gengen33の草ラグビー奮戦記

ボールを持ったらとにかく突っ込め!

試験休みは強化合宿

      2019/07/05

私の母校では、9月の後半に前期の試験がありました。そして10月早々の2週間は試験休みでした。学生たちは実家に帰ったり旅行に行ったりして試験休みを大いにエンジョイしておりました。

ところがラグビー部員は、秋のシーズンの始まりで10月の第3週の週末に公式戦の初戦があるので、試験休みはまるまる強化合宿になるのです。

2週間ものあいだ午前と午後に延々と単調な練習をするのは嫌で最初の1週間は合宿中の食費稼ぎの名目で部員全員でアルバイトをしました。1年生の時は下関漁港で貨物船から荷揚げされベルトコンベアーから流れてくる冷凍の20キロ以上あるクジラ肉のブロックを等級ごとに選別して担いで仕分けする作業をしました。2年生の時には、当時完成間近だった下関駅前のシーモールという巨大ショッピングセンターの屋上の床のタイルのコンクリートや目地のシールのカスを1日中しゃがんだ姿勢で取り除く作業をしました。どちらも練習するよりかえってキツかったような気がします。

練習は学校のグランドで行い、3度の食事は学校のそばの大きな下宿屋さんの食堂で用意してもらい、風呂もその下宿屋さんの下宿生用のお風呂場をお借りしました。アルバイトも練習もキツかったですが、どんなに酒を飲んでもタバコを吸ってもキッチリ参加していれば文句なしで夜はガバガバ飲んで大騒ぎをして、憂さを晴らしていたように記憶しています。

そして合宿の最終日には山陰線に乗って下関の駅に行って、5つ先(現在は6つ先)の吉見までの約15キロを走りました。

この画像は走る前に下関の駅前で撮ったものですが “臨時の女子マネージャー” もしっかりと写っております。最近は我が母校も女子学生にも人気があり、女子学生も多いのですが、当時は女子は全校で数名しかいない貴重な存在でした。この画像は私が2年生の時のモノですが1年生の時に神様の4年生が同じ様に記念に写真を撮ろうとしたときに “セーラー服の女子マネが居ないと寂しいのう” と呟き、当時流行っていた “嗚呼!!花の応援団” というギャグ漫画さながらに “御意!” と一年生が駅の周りを駆け回り道行くセーラー服の女子学生に “臨時の女子マネージャー” をお願いしたのが “暗黙の御約束” になったものです。

そして走って学校のグランドに帰ってくると長くてキツかった合宿も終わり、合宿中に食事をした下宿屋で打ち上げのビールを飲んで試験休みも終わるのでした。

 - 水大ラグビー部